体が裂かれるように熱い。
 これは痛みなんだとぼんやり思った。

 黒っぽい色の、恐ろしい唸り声を上げる魔物。
 それが持つ尖った爪が、腹に食い込んでいるんだと、ぼんやり思った。


 遠くで呼んでいるような声を頼りに、彼は意識を失った。
 遠いその声が、現実味を持った。






 彼が目を開けると、まず入り込んできたのは木目の天井。
 ぼんやりと木目をなぞる。
 窓から陽が差し込んで、優しい色合いをしていた。


 ぼんやりしながら木目を眺めていると、部屋の扉が開く音がした。
 誰か入ってくる。
 彼はそれもどうでも良い事のように、そのまま天井を見上げていた。
 側に、誰かが立つ気配。

「目、覚めたんですね」
 側に立つ誰かが声をかけて来た。
 それでようやく彼はそちらに目を向けた。
 お盆を手に持った少女だった。薄い黒味を帯びた―というよりは灰色に近い色味の長い髪を二つに分けて三つ編みにし垂らしている。彼女の付けているエプロンは白い色で、こんな光景をどこかで見たことがある気がした。
「起きれますか?」
 そう言われて、自分が横たわっている事に気が付いた。
 答えずに身を起こす。
 体に激痛が走った。
 痛みに顔をしかめると、少女が慌てたように起き上がるのを止める。
「無理しないで下さい」
 それに構わず、彼は体を起こした。
 激痛が走る。
 どうしてだか、何度も味わったことのある痛みだと思う。
 起き上がって自分の体を見渡すと、腹部に白い布がぎちぎちに巻いてあるのが目に入った。
「大丈夫ですか」
 側に立つ人の気配を思い出して、そちらへ目を向けると心配そうな顔の少女が見えた。彼女から目を逸らし、彼はぼんやりと俯いた。
 何も反応しない彼の様子に、少女は少し肩を落とす。
 手に持った盆を、彼が横たわるベッドの隣の小さな机に置いた。
 そして彼の肩を掴んで、少し強引に横たわらせた。
 その動作で新たに生じた痛みに、再度彼が顔をしかめる。
「ご、ごめんなさい」
 少女は咄嗟に手を離して、小さな声でそう言った。
「あの、これあなたの荷物です。ここに置いておきます」
 気づかれない程度に彼女は彼から顔をそらしたまま、盆を置いた机の下に荷物入れらしき物を置いた。
「何かあったら、呼んで下さい」
 それだけ言って彼女は盆と荷物を置いたまま、部屋から出て行った。
 誰もいなくなった部屋に安堵を感じているのか、寂しさを感じているのか、彼には分からなかった。
 切り離された世界に、浮いているような気がする。
 奥底に大事な物が眠っているような気がする。
 それを欲しいと思うのかどうかという事は、必要ない気がした。
 そのまま彼は目を閉じる。


 色々な断片、出来事。
 切れ切れに浮かぶ。
 色々な場面がぐちゃぐちゃに繋がっているのだと思う。
 そう思うのが分からない。
 最後に見えた断片は、誰かが笑っていた。
 それだけで何かとても嬉しい気がして、その人を呼ばなければ、と思った。


 目を開けると、先ほど目にした天井の木目が見えた。
 大事な事を引き戻しかけたという事だけ、彼には分かった。
 じわじわと失踪感が沸く。
 それはとても彼を満足させるような物ではなくて、やり切れなさで一杯にする。
 何か無くしたのだと、そんな気がして。それはじわじわと彼を満たした。
 何か嫌な冷たい物で背中を触られているような、そんな気がした。
 欲しいものを探す場所が分からない、それだけ分かった。

 腹の中に熱い塊が沸いたような気がして、体が痛むのも構わず彼は身を起こした。
 まるでそれは涌き出る膿のような、嫌な感触の気がした。
 焼けるように体が痛い。
 振り払うように頭を振って、周囲を見渡した。
 隣の机の下に置いてあるものが目に入る。
 先ほどの少女と、彼女が言った言葉を思い出した。
 自分の荷物であるらしきそれに手を伸ばす。
 焼けるように体が痛んだ。
 さっき沸き起こった熱さよりはよっぽどマシだった。

 荷物を取ろうと体を動かす。
 痛い。
 それに手が届いたと思ったら、力が抜けた。そのまま彼は床へ転がり落ちる。
 床との衝突は痛みを抉った。
 苦しそうに息をしながら、やっとの思いで体を起こす。
 荷物は手の中にある。
 ひどく安心した。

 荷物入れを解く。手が震えてうまく動かない。
 荷物を開けて中を覗いた。
 何か色々入っていたが、彼にはガラクタのようにしか見えなかった。
 更に荷物を漁る。


 手紙を一通見つけた。
 手紙を握り締めて、彼は動きを止める。
 自分の中で何かが動く。
 そっと手紙を取り出した。

 何の変哲もない封筒。
 ひどく息苦しくて唇をかみ締める。

 封を切られている封筒から、便箋を取り出す。
 少し乱雑な字で文章が書かれていた。
 文を追うと、最後の部分で目が止まった。
 誰かの名前が書いてある。
 断片の中から取り出した一番最初の、大切な物のような気がした。

 名前を呟いてみた。
 胸に熱くうごめく物がいる。
 視界が滲んだ。


 それはそのまま手紙へ落ちて、名前の所へ重なった。




* * * * * * * * * *

 分かり、づら…。ひっそりと別お題に続けたいと思います。
(04.08.02)


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