心に抱いた思いはいつか伝わる。

 そう誰かが言ってた。
 どれだけ思い続けたら伝わるんだろう。
 伝わらない思いはどこに行くんだろう。







 俺にとって故郷はずっとリックスだ。
 住むところがもう俺が居たころと変わっていても、近所の友達と遊んでて隠れた草の匂いや、目を覚まして一番最初に目に入った朝日の白さや、「明日晴れると良いな」って思いながら寝た翌日見事に雨が降ってそん時の水の音や、俺が村を出た時の空の色―全て変わってない。
 いつだって思い出せる。
 故郷ってのは不思議だよな。
 どんだけ離れてても、ふとした時に思い出すのはずっとリックスの色だ。
 小さい頃の何気ない日々が大事な宝物みたいに未だに胸のどっかにあるんだろう。


 俺は今、リックスに帰ってきていた。
 じいさんと俺と姫2人―後から姫がもう一人加わったけど―との長旅が終わってから初めて帰るから前回来たときから大分時間が経ってた。

「おや、おかえり。随分久しぶりだね」
 最初に俺に気付いてくれたのは宿屋の女将だった。
 まあ最初に宿屋に足を向けたから当然っちゃ当然なんだけどな。それでも「おかえり」って言って貰えるのって嬉しいよな。
「おっす、久し振り。泊まりたいんだけど、部屋空いてる?」
 聞くまでも無い質問を俺は女将にした。
 リックスは交通の便がすげえ悪いしで宿が満杯になる事なんて、まず無い筈だ。
 女将は答えずに苦笑いした。言わなくても分かってるだろうって顔だった。
「皆には顔見せたのかい?」
「いんや、まだ。まっ先にここに来たからな」
「んじゃあ、顔見せしといで。ライカなんか特にあんたの事心配してたんだから」
「あいつが?ホントかよ」
 口ではそう言ったけど、それがホントなんだって事は分かってた。まあ、あれだ。一種の照れ隠しってやつだ。
 大人になったってそういう気恥ずかしさってのは変わらないもんだな。
 ライカってのは俺の幼馴染だ。
 小さい頃家が近所でよく一緒に遊んでたっけ。俺は昔から家の中に籠ってるような子供じゃなくて、外を跳ねまわってその度にお袋をヒヤヒヤさせてた。そしてライカも俺と変わらない位やんちゃっ子で、それで更にお袋をヒヤヒヤさせてた。
 前回帰ってきたとき―村を出てから10年近く経ってたけど―久々の再会のライカは記憶にある姿からすっかり印象が変わってた。
 小さい頃は泥だらけになって一緒に遊んでたのに、すっかり大人になってて驚いた。もう一緒に泥遊びんなんてしないだろうって感じで。
 俺も成長してるんだから当たり前なんだけど、やっぱ変な感じだったな。

「ホントに決まってるだろ。あんたってば相変わらずだねえ」
 そう言って女将は苦笑いした。
「分かった。ちょっと村回ってくる」
 そうしといで、って言って女将は俺を送り出してくれた。

 宿を出てしばらくぼんやり歩いた。
 どこに行こうって目的地も特に無かったから気楽なもんだ。道すがら知り合いに会えたら良いな、そんな風に思ってぶらぶらしてた。




 本当なら一番先に行かないといけない場所がある。
 でも俺はその場所からあえて遠い方向へ歩いていた。
 その場所へのふんぎりがまだ俺の中ではついていないのかもしれない。
 思い出は時間が経つと奇麗になるって言うよな。でもそれは本当なのかまだ俺には分からない。
 思い出してもう会えないってのが時たま信じられない気がする。
 そうして「もう会えないんだ」って言い聞かせるように思うんだ。あとに残る思いは「寂しい」に近い気がする。


 俺はしばらく村の中を適当に歩いてた。
 けどもうすぐ夜になるって時間にリックスに着いたのが悪かったんだろう。
 全くと言って良いほど誰とも会わなかった。
 リックスは夜が早い村だ。もう皆家に帰ってんだろうなと思いながらも、やっぱりふんぎりが付かなくて何となくぶらぶら歩き続けてた。
 …多分女将は「ライカの家に行って挨拶くらいして来い」って意味で送り出したんだろうと思うけど、家にまで出向くというのはしたくなかった。

「帰るか…」
 そう呟くと俺は宿へ足を向ける。でも途中で立ち止まっちまった。



 帰ってきてからまだあの場所へ一度も行っていない。
 次の日に後回しにするなんてやっぱ薄情だよな、そう思って俺は方向を変えた。



 しばらく歩き続けてその場所についた。
 そこは昼でも夜でもひっそりとしてて、誰もいない場所だ。
「ただいま」
 小さくそう言って俺はその前に立った。
 目の前の場所には親父とお袋が眠っている。
 親父に「来るのが遅い」って怒られるかもしれないな、と思いながら俺は息を吐いた。
 花一つ持たず手ぶらで来てしまって、親不幸だって苦笑されるだろうかと思う。
 でもきっとお袋は「しょうがないわねえ」と笑いながら言ってくれるだろう。
 やっぱりもっと早い時間に来れば良かった。
 昼だってここは誰もいないんだろうけど、夜は更に静かすぎる。
 世界で俺しか居ないんじゃないかって位静まり返ってて、星や月の明かりも木陰に紛れて届かない。
 風の音もしないこの場所はひっそりととても寂しかった。
 親父やお袋はきっと「寂しくなんかない」って言うだろう。でも俺は寂しいと思ってしまう。
 いつか寂しくなくなると思えなくてもいい。思える日もきっと来ないだろう。


 明日もっと早い時間にまた来よう。
 そう思って俺はその場所を離れた。
 また来るよとは言わない。

 言わなくても、分かってくれてるだろうから。





 宿に戻ると村を歩いてる時に、人に会わなかったのが嘘みたいに色んな奴らがたむろしてた。
「遅かったねえ、バッツ」
 そう言いながら女将が俺を手招きした。
「…外で誰かに会うかと思ったのに、入れ違いかよ」
「あんたが出てからすぐ後にジョンが来てねえ。あんたが帰って来てるって言ったら村の連中集めてきてくれたんだよ」
 ジョンてのも俺の幼馴染だ。小さい頃は互いに互いの事が気に食わなくて仲が悪かったけど、前回来たときに会ったアイツはすっかり丸くなってた。昔は俺に対してすげえ刺々しかったのに、月日の流れってのは偉大だ。
「最初から俺外に出ないほうが良かったってか」
 そう言いながら村の連中が座ってる場所へ目を向ける。
 …見た限り、ライカは居なかった。

「バッツ早く来いよ!」
 ジョンが気付いて俺に手招きした。
 行こうとすると女将を俺を呼び止めた。
「…会ったかい?」
 躊躇うようにそう言われた。
 その場に居ない幼馴染の事を指しているんだろうとすぐに見当が付く。
 苦く笑いながら俺は首を振った。
 女将はやれやれといったように俺を見る。
「…あいつらんとこ早く行ってやんな」
「ああ、分かったよ」


 ジョン達の所に行くと、座るよう促された。
「久しぶりだなあ、バッツ!」
 ジョンが笑顔で再会を喜んでくれた。
「お前いっつも帰ってくんの唐突なんだよ」
「便りの一つくらい寄越しやがれってんだ」
「どっかで野垂れ死んでじゃねえかって噂だったぜ」
 周りの奴らに口々に好きなことを言われた。
 口は悪いが皆俺の事を気にかけて、再会を喜んでくれてるんだと分かってそれが嬉しかった。
 気がつくと頼んでないのに酒と料理が運ばれてきてた。
「これから追加したらお代貰うからね」
 そう言って女将はそれらをテーブルに置いていく。
 どうやら今運ばれてきた物に関しては奢ってくれるらしい。
 悪いなとも思ったけど、女将の気遣いに素直に甘えることにした。




 酒が入ったこともあって、場はどんどん盛り上がった。
 俺が村を離れてた時の話や、俺が居なかった間の村の話で花が咲き、気付くと夜中に近い時間になってた。

「あんたら、そろそろ解散したほうが良いんじゃないかい」
 女将が呆れたように時間を告げに来た。
「すっかり遅くなっちまったんだなあ。時間忘れてたよ」
 酔いが回った様子で、村の連中の一人がそう言った。
 内容とは裏腹にその口調はちっとも悪びれていなくて、俺は苦笑した。
 俺も酔ってはいたが、元々酒は強い方だ。しかもちょっと前に旅してた時は姫とは思えねえ女と飲み比べなんかザラだったんだ。嫌でも酒に対する耐性が付くってもんだ。

「まだ暫く居るんだろうから」
 女将は俺を指差す。
「皆、続きはまた明日にしな」
 各々それに返事をしながら「じゃあ、またな」と言って連中は帰って行った。
 「またな」と言って俺もそれを見送る。

 こんな夜中まで長居してしまって流石に申し訳ないので、片付けを申し出た。
「あんた仮にも客なんだから、そんな気回すんじゃないよ。とっとと部屋行きな」
 と逆に怒られた。
 女将なりに俺を気遣ってくれてるんだろうが、気が強い人なので口調も厳しかった。
「仮にもって何だよ」
 女将に聞こえないようにボソッと呟きながら、俺は部屋に行こうと歩きだした。
 その時だ。
 俺の名前を呼ばれた。
 何だと思って声の方へ顔を向けると、帰ったと思ってたジョンが宿の出入り口にいた。
「あれ、忘れモンでもしたのか?」
 でもテーブルの残骸は酒瓶と空になった皿だけだったよなと思い返しながら俺は言った。
「…いや、そうじゃないんだが」
 ジョンの口調は歯切れが悪い。
「どうしたんだよ」
「…ちょっと話がある」
 ジョンの様子は「場所を変えたい」というのが有り有りと見てとれた。
「分かった。ちょっと外出るか」
 そう言うとジョンはホッとした顔をした。
 何だろうと思いながら俺は宿を出る。ジョンも後から着いてきた。



 宿から少し離れた所で俺は歩きを止める。
 これがちっと栄えた所なら場所を変えて飲み直し何てことも出来たんだろうが、生憎リックスにそんな場所はない。
「…悪いな。誰もいないところで話したかったんだ」
 どこに行こうかと立ち止まって思案に暮れてるとジョンがそう切り出した。
 話す場所は別にどこでも良いみたいだった。辺りに人の気配もないし、ここでも良いかと思ってそのまま話を聞いた。
「…ライカには会ったか?」
「……」
 あいつの話か、と思って俺は少し苦い気持ちになった。
 沈黙の後、俺は首を横に振った。
「…お前なら分かってたと思うけど、俺はライカが好きだった」
 ああ、知ってたよ。声には出さず俺は胸の中で答えた。


 小さい頃の話だ。
 ジョンの思いを俺は知っていた。だから俺らは互いに互いの事が気に入らなかった。
 ジョンは過去形を使った。でもまだその思いは続いてるんじゃ無いだろうかと思う。


「ライカは口には出さない。でもまだお前を待ってる。表に出さないようにしてるが、お前を待ってるんだ」
 そう言ってジョンは俺に目線を合わせてきた。
「…バッツはどうなんだ」
 怒りや焦りなどない、静かな目だった。

 ライカが待ってくれている思いと、俺が小さい頃彼女に持っていた思いは一緒だった。
 でも今、俺が彼女に持っている思いは違う。
 小さい頃と変わってしまった。
 それ以上、ジョンは答えを促さない。
 ただ俺の返事を待っている。
 返事はもうずっと昔に出ていた。


 俺が今リックスに帰ってくるもっと前に。



「お前がライカの事を受け止めてやれるなら何も言わない。けれど、そうじゃないならちゃんとあいつに返事をしてやれ」
 そう言うとジョンは静かにまた俺を見遣って来た。
 俺は何も言わなかった。
 答えれなかった。


 長いこと放り出してきた、見ないようにして来た答えを出す時が来たんだと、ジョンの目に言われた気がした。
 俺はずっとずるくて卑怯だった。物凄く時間を置けば、冗談みたいに言い合えるんじゃないかと勝手に思ってた。
 でもそんなのは俺の勝手な希望にすぎなかった。
 こうあればいいという願望だった。



 小さい頃、一番大切な仲間だった。
 それを奇麗なまま、とって置きたいというのは、身勝手な俺のエゴだ。
 今のままじゃダメなんだ。
 俺もライカも。

 ちゃんとしなきゃいけない。


「…ほんとに、ゴメン」
「謝るなら俺じゃなくて、ライカにだろ」
 そう言うと、ジョンは少し笑った。
 詰るような物ではなくて、ジョンは労わるように笑ってくれた。
 俺の事をもっと責める権利がジョンにはある筈だった。でもこいつはそんな手段を使わなかった。

 昔は全然思わなかったけど、ジョンの強さが羨ましいと思う。



 明日、放り出してしまった時間に答えを出そう。
 そしたらまた、親父とお袋に会いに行こう。


 そしてちゃんと皆に挨拶出来たら、今度はあいつに会いに行こう。


 躊躇した時間に、答えを出そう。




* * * * * * * * * *

 「あなたに風の花束を」「あなたに夜の焔灯を」の続きの感じな話です。
 お頭全く出て来ませんが、根底がっつりバツファです。

(08.06.18)


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