俺は小さい頃の事をほとんど覚えてない。
俺の記憶の中の光景は5、6歳の頃から始まる。
だからそれ以前の俺には「振り返れる幼い頃の思い出」って奴があんまりないんだ。
物心ついた俺の始まりは、洞窟の中の荒くれた奴らがたむろする海賊の本拠地だった。
俺を育ててくれた先代の海賊の頭が言うには、俺が拾われたのは奇跡に近かったんだそうだ。
ずっと晴れの天候が続いていた――本当は通る筈じゃなかった航路を、拾ってくれた海賊の船が通っていた――そういったいくつもの偶然が重なって、俺は海の藻屑とならずに済んだらしい。
海で溺れて流されていた俺を助けてくれた。けれど俺をそのまま海賊の仲間に迎え入れるのには反対の声が大きかったんだそうだ。これも当時の俺は知らない事だったけど。
助けられた当時の俺はまだまだガキだった。
働かせるには幼すぎて利にならないし、何より俺は女だった。
船に乗る奴らの間では未だに「船に女が乗るのは縁起が悪い」っていう思い込みが蔓延してたりする。
そんな反対勢を押し切って、先代の頭は俺を引き取ってくれた。
どんないざこざがあったのかなんて俺はやっぱり覚えてないけど。
俺が引き取られるのと引き換えに、先代の頭は何人もの古株の手下を失ったと風の噂で聞いた。
そこまでして何で先代が俺を育ててくれる気になったのかは分からない。
先代には小さい頃に亡くしてしまった娘がいたという話を聞いた事がある。
それが理由なのかどうかは分からないけれど。
聞いた事も無かったしな。
でも先代は血は繋がっていなくても俺の父だった。それは紛れもない真実だった。
海賊たちは見た目はゴッツいし怖い奴らばっかりだったけど、中身はそんな事なかった。皆俺を可愛がってくれた。
最初は物珍しさが先立ったんだろうが、すぐにそれは「情」と言える物になっていたと思う。
血縁とかそんな事関係なく、俺たちは家族だった。
寂しくはなかったと思う。
そんな風に思う暇も無いくらい、強い絆を俺に与えてくれた。
粗野で乱暴な接触ばっかりだったけど、普通の家族のような温もりを俺にちゃんと与えてくれた。
だから、寂しくはなかったと思っていた。
けれど夜寝る時、助けられた時に俺が身に付けていたという首飾りを眺めていると何とも言えない気持ちになった。
それは暗闇の中でもキラキラと輝いていて、心の一番奥の芯みたいな部分に残るようなそんな光を放っていた。
その首飾りが何なのか、俺には全く分からなかった。
それでも見つめていると、不思議な気持ちになった。
キーンとした寒さが段々緩む、雪解けの時に感じる匂いに似ていた。
そして似ているけれどやはり違った。
もっと奥深くて誰にも見せれない、夜の間しか存在出来ようなそんな気持ちになった。
不思議な高揚感と、どこか他人事めいた寂寥感。
きっとどこか遠い国の出来事なんだと、そんな感覚で俺は思っていたと思う。
その首飾りを見ながら俺は色んな事を考えた。
例えば。
実はそれは伝説ってつく位の凄い価値のある物で、何かの呪文を唱えるとすごい力を発揮するとか。
例えば。
実はそれは物凄い財宝の在処を示す宝の地図みたいな役目を果たすんだ、とか。
例えば。
一見キラキラしてて綺麗だけど、実はただの硝子なんじゃないか、とか。
例えば。
助けられた時に俺が持ってたって先代は言ってたけど、本当は俺の気が紛れるようにって吐いた嘘なんじゃ無いか、とか。
俺の知らない人が――俺にくれた物じゃないんだろうか、とか。
顔も知らないその人の記憶が、この中のどこかに閉じ込められているんじゃないか、とか。
俺は色々な事を考えた。
いつだって答えは出なかった。
俺は一人じゃなかった。
でも夜にその首飾りを見つめるその瞬間だけは、ずっと一人だった。
遠く物語を馳せながら、懐かしさに似たその光の前で、俺は一人だった。
「女の癖に」
そう言われるのが虫唾が走るほど嫌いだった。
海賊達は皆気の良い奴らだった。
でもそんな奴らばかりじゃ無かった。
先代の頭は俺に色んな戦い方を仕込んだ。
剣だったり拳だったり蹴りだったり、様々な手段を俺に極めさせようとした。
そして実際14、5歳位の頃には俺はもうかなり強くなってた。
そんじょそこらの男になんか絶対に負けない。
だから尚更その言葉を吐かれるのに死ぬほど虫唾が走った。
ある時そう言った奴を問答無用で切り伏せた。
手加減なんかしなかった。
実際止められなかったら殺していたかもしれない。
切られる側にだって肉体はあるんだと、そんな事すら思わなかった。
「お前は強い。だがそれだけだ。今のお前は獣と同じだ」
先代の頭にそう言って頬を張られた。
正確には殴られた。
手加減されずに殴られて、俺は衝撃で吹っ飛んだ。
あの時は顔がかなり腫れてしばらくは目も当てられない事になったっけな。
痛みと悔しさで俺は先代の前で泣いた。
何よりも悔しくて泣いた。
泣いた事が悔しくてまた泣けた。
あの時の俺も一人だった。
そして俺を殴った先代も多分、一人だった。
その日の夜に久しぶりに首飾りを眺めた。
変わらずに煌めくそれを見ても、昔のように思いを馳せたり出来なかった。
手の中にあるのが信じられないように、それは冷たく、ただ煌めいていた。
多分この中には、何の記憶も閉じ込められてないんだと、そう思った。
俺はそれを床に投げ付けた。割れる位に乱暴に。
いっそ割れてしまえば良いんだと思いながら叩きつけた。
嫌な音を立ててそれは床に転がった。
割れたりなどしなかったけれど。
いっそ見えなくなれば良いんだ。
窓を開けて海に投げ込んでしまえばいい。
海は深い。
二度と目にする事無く葬れるだろう。
でも俺はそう出来なかった。
投げ付けたそれを拾い上げる。
例えば。
この中にある記憶が溢れるなら、それは一番俺に近い人のものなんじゃ無いか、とか。
闇の中でそれは、煌々と輝いていた。
例えば。
この中にある思いを形にしたら、それは俺の幸せを祈る物になるんじゃ無いか、とか。
小さい頃、俺はそれを見つめながら色んな事を考えた。
答えは出なかったけれど、その瞬間俺は一人だったけれど、寄り添ってくれる何かがきっとあった。
例えば。
俺にこれを渡したのは、多分――顔すら知らない父さんや母さんなんじゃないか、とか。
手の平の中のそれは、夜に負けないくらいキラキラと煌めいていた。
温度を持っているかのように輝いていた。
それを見ながら俺は、また泣いた。
その瞬間、多分俺は一人じゃなかった。
それから何年も後だ。
俺が持っている物と同じ首飾りを見たのは。
そいつらは俺達の命とも言える船を盗もうとした不届き者だった。
その中にあいつはいた。
縛り上げられていながら、捕まっているとは思えない強い視線を俺に向けてきた。
そいつの胸元に見覚えのある光を見た。
俺が幾晩も眺めてきた、あの煌めきと同じ物だった。
俺のと全く同じ物をそいつは持っていた。
目を閉じても思い出せるくらいに眺め続けたそれを持っていた。
そこから出ようとした答えを導くのを、俺は放棄した。
そんな馬鹿なことある筈ないだろうと、考えるのをやめた。
それが出会いだった。
そしてまたどの位月日が経ったのだろう。
俺達二人しかいない夜の暗がりの中で、捨てれなかった光を掲げてそいつは俺の事を姉と呼んだ。
縋りついて来る腕を振り払うことが出来なかった。
目にうっすらと浮かぶ涙を、拭ってやりたいと思った。
否定されても諦めないそいつを、抱き締めてやりたいと思った。
俺が覚えていなかった全てを携えて、そいつは俺に歩み寄った。
今掴み損ねてしまったら、何度もその光景を振り返ってそんな筈じゃないんだと叫び続けることになるんだろうかと思った。
そしてそんな自分を想像して、俺はゾッとした。
何年経っても何十年経っても、手を離した事を悔やみ続けるんだろうか。
何度否定しても、寄り添った面影はきっと消せないだろう。
俺と同じ色を持ったその存在を、俺は永遠に消せないだろう。
先に失うことになったとしても、きっと思い続けるんだろう。
伸ばした手を離したくないと、離して欲しくないと望んでいるのだろう。
懐かしくて、俺の始まりだったそれを。
手に入れられる距離に感じて戸惑ったけれど。
それでも、嬉しいと感じていたと思う。
その人の名前を呼んで、俺は泣いた。
その人も俺の名前を呼んで、涙を流した。
伸ばした指を握りしめ合って、俺たちは泣いた。
その瞬間、俺はもう一人になる事は無いんだと思った。
小さい頃から、ずっと考えていた。
大人と言えるようになってからも。
心の奥底で、自分でも知らないような所で。
何度も、何度も。
例えば。
俺の知らない所で、俺の家族かもしれない人達が、今この瞬間も存在しているのではないか、とか。
例えば。
その人たちも俺の事を捜していて、諦めなければいつかきっと会えるんじゃないか、とか。
例えば。
俺の中に最初渦巻いていたのが全てに対する反発だけだったとしても、それはもう薄れきって、ただ会いたいと思う心だけなんだ、とか。
伝えたかった事を何一つ言葉に出来ないまま、俺達は手を握りしめ合った。
ずっと会いたかったんだ。
そんな言葉すら、俺は言えなかった。
言わなくても繋いだ手の間から零れ落ちて行けば良い。
そう思いながら、俺たちは泣いた。
君が連れて来た光を貰って、浮かぶのが笑い顔なら良い。
そう思ったのに、浮かぶのは涙だけだった。
俺が持っていた光を受け取って、君が浮かべたのも涙だった。
それが合わさって、いつか笑い声になると良い。
そう思いながら、手を繋ぎ続けた。
* * * * * * * * *
「きみのところに」と対になってます。ウチのサイトでは珍しいファリス視点です。
…つうかファリスのシスコンぶりが度を超えてるんじゃねとか思(ゲフ)
(08.07.08)
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