「だ・・・大丈夫か・・・?」
 頭上にバッツの苦しそうな顔。
 ヌルリ と顔に垂れて来たものに指を伸ばしてみると、それは独特の粘着力を持って皮膚を滑る。嫌な感触だった。指に付着した液体に目をやると、日蝕の太陽のような濁った黒い赤。据えるような鉄分の匂い。
 血だった。
 それを認めてファリスは一瞬真っ白になる。
 連携した魔物の攻撃からバッツは自分を庇った。その、せいだ。
 意識が飛んでいって、目の前の出来事を遠くから見ているような感覚が襲う。

「姉さん、何してるの!?」
 自分を叱咤するような声で我に返る。見ると、襲ってきた魔物3匹の内の1匹がこちらに向かって来る。残りの命と刺し違えようとするような猛烈な速度だった。

 他の2匹はレナとクルルが片付けたんだな、と無意識で判断すると上に被さった体勢のバッツを押し退け(正確には突き飛ばし)剣を持つ力が緩みかけた手を握り直す。腰を着いた体勢から向かって来た魔物に向かって飛び込み、その勢いを利用して左下から武器を振り上げる。
 攻撃は魔物を捉え、剣が魔物に付けた線状の傷から体液が迸った。そのまま力尽きて地面に落ちる。
 当人も無理な体勢から攻撃したせいで、上手く着地できずそのまま地面に転がる。
 背中を強かに打った為か一瞬呼吸が止まりそうだったが構わずに起き上がると、傷を負った仲間に駆け寄るレナとクルルが見えた。彼女も自分のせいで怪我をしたらしい男の傍に駆け寄る。
「大丈夫、バッツ?」
 クルルが傷の具合を確かめていた。
「だい・・・じょうぶだって」
 掠れた声でバッツは顔を歪ませながら笑う。その笑いに、「大丈夫じゃない」色を見て取ったファリスは焦る。この男がこんな風に笑う時は何時も無理をしている時だ。それでも彼は「大丈夫だ」と言い続けるのだ。
 見ると案の定傷は酷い物だった。左肩が抉れたようになっている。服が裂けて嫌でも目に入るそれは、致命傷では無いが決して浅くは無い。
 そこで白魔法の詠唱を完成させたレナが彼の傷に手を翳す。小さい流星のような白い煌きが生まれ、彼女の手の周りを球形に容どる。淡い光が消息を無くすと、彼の傷は元の滑らかな皮膚に戻っていた。
 傷が癒えたのを眼で確かめるとファリスは力が抜けたように安堵した。鉄板のように心が張り詰めている感じが溶けた為か、その反動も大きい。そして同時に妹の魔法の回復力に嘆息する。水の恵吾を受けている為かレナの白魔法は目を見張る物が有る。何度目にしてもその力に驚かされる。
「サンキュ、レナ」
 左肩を動かしながらバッツが言った。見る限り痛みは無いようだ。
「治る範囲みたいで良かったわ」
 ホっとしたようにレナが言った。
「凄いなあ〜、レナの回復〜!良かったねバッツ♪」
 感心したようなクルルとは対照的に、ファリスは後味の悪い気不味さから声を掛ける事が出来なかった。
 治って良かったという安堵と、自分のせいでという自責と、無謀な事をする彼への憤怒が混じって何かが破裂しそうだった。
「・・・無茶しやがって」
 自然、独白のような呟きも苛立ちの色が混ざった。
「もう、姉さんたら。少しは労わってあげないとダメよ」
 少しだけかよ、とバッツは内心ツっこんだが口には出さなかった。

「ファリス〜?こうゆう時は言いたい事素直に言おうよー。そんな事言いたいんじゃ無いでしょ〜?」
 クルルの胸を突くような一言にハっとする。この少女は時として内部を見据えたような鋭い所が有る。モーグリや飛竜と心を通わすのもそういう所以なのかもしれない。
「すまなかった。・・・ありがとな。」
 それでも気不味さから顔を背けてそう言うのが精一杯だった。バッツを見たらまた余計な事を言いそうで嫌だった。
「良いよ。大した事無かったし。」
 何でもなさげな様子で立ち上がる。
 大した怪我だった癖に、とレナの顔には書いてあったけど気付かない振りをした。


 暫後、一行は前進するのを中断し野営の準備をしていた。レナとクルルは食事当番の作業に没頭している。
 残りの2人は薪になる枝を拾い集めていた。食事用に使うものでは無くて、夜の見張用に焚く焔の為だ。
「何であんな事したんだよ」
 枝を拾いながら何気なくファリスが切り出す。
「あんな事?」
 よく分からなかったようで、バッツは枝に伸ばしかけた手を止めた。
 足りねえ奴だな。空気読めよ。と、酷い事を思いながら呆れたように彼女はバッツに目を遣った。
「何で、庇ったりしたんだよ」
 足りない彼にも分かるように彼女は付け足してやる。
 ああ、と思い出したような表情になった相手に再びファリスは呆れる。どうやったら、そんなスグさっきの事忘れるんだよ。と口には出さないが顔にはデカデカと書いてあった。
「何でって・・・仲間だし。」
 バッツは不思議そうな面持ちを作る。
 呑気な相手にファリスは少し苛立つ。
「・・・礼なら言わねえぞ。」
 何だか不機嫌な声になってしまう。仮にもさっき助けて貰った相手に、と少し彼女は後悔する。
「・・・別に、そんなの要らねぇよ。」
 俺が勝手にやった事だしな、と彼は続けて子供のように笑う。それが何だかあしらわれているようでファリスの気に障った。受けて立ってやろうという半ばヤケッパチな気分に浸る。
「してやるよ。」
「はあ?」
「・・・だから、礼ぐらいしてやるよ」
 その態度は恩人に対する殊勝な物とはとても言えなかったが、突如の展開にバッツは怒るのを忘れる。というか、そこまで頭が回らなかった。
 彼は一瞬呆けたような顔をしたが、何か思いついたような含み笑いを漏らす。それにファリスは少し嫌な予感がよぎった。ちょっと後悔したがもう遅い。
「じゃあ」
 悪戯っ子のようにニヤっと笑う。そして、自分の口に親指を当てた。
 その行動の意味が分からないファリスに怪訝な色が浮かぶ。
「お姫様のお礼は口って事で」
 そんな彼女には構わず恐ろしい内容を口走った。
 意味を理解してファリスは青ざめる。
 嫌な予感的中。ちっとも嬉しく無かったが。
「まあ?さっきも言ったけど、別に礼なんていらないし?」
 ニヤリと笑ったままで彼女に言う。
 人を食ったようなその態度は勿論彼女の気分を害した。
 お前がそんな風に言うんなら、やってやるよ、という自暴自棄が彼女を貫く。
 睨むようなファリスの鋭さにバッツは思わず気圧される。そして。

 軽く唇が重なる。柔らかい感触。
 お互いの温度。命を連想させる熱源の理。

 風が流れるような一連の出来事に、バッツは状態を把握出来なかった。

 唇が離れる。共有していた熱が遠くなる。
 そのまま素っ気無く彼から身を離す。何事もなかったかのように歩き出す。
 まだ状態把握が出来ないバッツは岩のように動けない。
「一回だけだかんな。」
 押し殺したような声に、彼の時が融解する。
 よく動かない頭にぼんやりと現実が流れ込んできた。
「・・・礼なんか要らないって言ったじゃんか。」
 独りごちるように言葉にしてしまってから、さっきの事が反芻する。

 顔が赤くなってる気がするのはきっと気のせいだ。
 言い聞かせるようにバッツは染み込ませる。

 こんなに心臓が跳躍するのも、気のせいだ。




* * * * * * * * * *

 自分にしてはバツファ色が強い感じ。



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