それは昨日の事だった。
 その青年は「ボコの家族の様子見に来たわ」と言っていきなりフラっと現れ、予想通りその後彼女の子分の海賊達とドンチャン騒ぎになってそのまま泊まっている。
 昨晩は皆ハメをはずし過ぎたようで彼女が目を覚ました時既に陽が高く昇っていた。
 ファリスの記憶も何だかはっきりしない部分が有ったのだけれど、そこは棟梁の意地なのかきちんと自分の部屋に戻って寝ていたのでちょっと自分を褒めてやりたい様な驚いたような気になった。
 部屋を出てみると廊下とか大部屋とかには案の定、部下達が雑魚寝宜しく転がっていたので、一瞥しながら踏んづけてやりたい気持ちをやり過した。
「・・・こいつら油断しすぎだな」
 奇襲が来たら一溜まりもないぜと思ったが、自分も今回は余り人の事を言えなかったので若干痛む頭を気まずげに掻きながら溜息をついた。ふと、周辺にこの騒ぎの元凶となった男の姿が無いことに気付く。もう、旅立ったのかと思ったが挨拶もせずに出発するような奴でも無かったし、何よりその男の荷物が残っていたから単に外に出ているらしいと見当をつけた。
 そして何処にいるのかも何だか見当が付いている。
 ファリスは少し迷ったが、そこで引き下がるのは何かに負けた様な気がして外へ足を向けた。

 洞窟を出ると朝日ではない強い日差しが弾けて彼女の目を眩ませた。構わずに歩き進むとその場所へ向かう。

 切り立った崖だった。
 そこは海賊たちが住処とする場所の比較的近くで、ここら一体でも有数の見晴らしの良い場所だった。そして案の定その男はその場所に立っていて崖の上から見える海を眺めていた。
 少し目の前に立つ青年は彼女に背を向ける格好でどんな表情をしているのかは見えない。
 ウチの海賊荒い連中ばかりなんだけど不思議とコイツは馬が合うみたいでフラッと来ても馴染んじまうんだよな、と独白の様に考えてファリスは目の前の男を見た。
「おはよ」
 背を向けたまま男が言葉を向けてくる。その勢いは唐突で背後からの侵入者に気付いている素振りも無かったのに的確で少なからずファリスは驚いたが、すぐにそれは苦笑に変わった。この男が気配を読むのに長けているのは今更だった。
「お前にしちゃ早いじゃん」
 少し間があった。風が吹いてきて潮の匂いがする。
「お前らが遅いんだよ」
 青年から何気なく帰ってきた言葉の中に何だか笑っているような雰囲気があった。それが何だか面白くなくてファリスは無意識に腕組みをする。
「何してんだよ」
 先ほどの言葉は黙殺して(彼女にしては殴らないだけ譲歩だった)話題を逸らす。逸らすというかズバリな本題だったんだけど。
「別に。ただ、色々考えてた」
 ちょっと意外な反応が帰って来たがファリスは答えず黙っていた。そして彼女の返答など求めていないかでも言うように青年は勝手に語りだす。
「あのさ人間と人間は触れ合って生きてるけど、それはそれぞれの人間の時間を少しの部分だけ共有してるだけで結局手にするのは自分の時間だけだ」
 バッツが言い出した事の意味がそれこそよく分からなくてファリスは少し眉をしかめた。
 こいつ、まだ酔ってんのか?
「でもそれは別に悪い事じゃ無くて、それぞれがそれぞれで自分の道を歩いてる事だと思うんだ」
 青年の髪を風が緩く揺らす。風の加護を受ける彼に風が戯れているように見えて、彼の周りだけ優しい空気に包まれているようで何だか不思議だった。
「そんで人間てのは触れ合ってる時間全てで、何だかそいつの事大概知ってるような感じになっちまうんだけど、やっぱりそうじゃないってもの知ってるから」
 また風が吹いて陽の光を強く弾けさせた。それは彼の邪魔というより祝福している様にファリスには思えてやっぱり不思議だ。不思議に見えて何だか胸が騒ぐ。
「だから人間てのは時たま訳も無く物悲しくなっちまったりするのかな」
 何だか「話」とやらが終わったようで、しかもそれは自分に答えを求められて居るのかもよく分からなくて、言葉を探したけれど結局ファリスは黙ったままだ。
 よく分からないけど、バッツの言っている事は何となく分かる様な気がした。

 それは、夏の中で蝉が鳴いていたり、日が沈む寸前の空を見上げたり、ふと昔の事に思いを馳せる寝床の中だったり、目が覚めると泣いていてその理由が分からなかったり、誰かとの別れの朝だったり、様々だ。

 ファリスが黙ったままで、でもバッツは別に構わないような感じで話すのを続けた。
「けど、俺そうゆうのって嫌いじゃねえんだよな」
 彼が両手を伸ばして空と手が重なった。
「なんか、生きてるって感じがして嫌いじゃない」
 手を下ろすと彼はファリスの方に振り向いた。
「と、言う事を考えていた」
「・・・何だよ、それ」
 彼女は腕組みをしたままで、唐突に振り向かれた驚きを隠すかのように立ち止まったままだ。
「そう言うと思ってた」
 バッツはそう言って少しバツが悪そうに苦笑した。それが何だか悪戯が見付かった子供のようだった。
「・・・そう言うと思ってんなら何で話すんだよ」
「んー、何かちょっと自分の中で大発見とか思ってちょっと誰かに話したかった」
 ま、自己満足さ、と囁くように言ってバッツは少し笑った。自嘲気味に見えたのは気のせいだろうか。
「・・・よく分かんねえけど、そういう時ってあると思う」
 何でこんな事言い出してるのか自分でも分からなかったが、今は彼に何か言ってやりたくてファリスは続けた。
「俺、詩人じゃねえから上手く言えねえけどさ、ちょっと悲しいなってのに夕日が凄い綺麗だったりとか、あるよな」
 彼女が返答しているのが意外なのかバッツは少し驚きの表情で顔を向けたままだ。そして、彼女はやめない。
「まあ、夕日はいっつも通りに変わらず綺麗で、それに何時もは気付かないだけなのかもしんないけどさ」
 ファリスは言っているうちに何だか自分の言っていることがよく分からなくなってくる。
「・・・なんか、漠然と「こうだ」って思ってることが有るのに上手くいえなくて、外に出せなくてもどかしくて、でもそういうのもお前のいう「生きてる」ってヤツなんだろうなって思うけどさ」
 益々よく分からなくなってきて、ファリスはいたたまれなくなってきた。
「んー俺もよく分かんねえけどな」
 バッツがそう言ってでも何だか嬉しそうに笑うので、ファリスはやっぱりいたたまれなかった。

「色んな事があったけどさ、それも片がついて自由になっただろ。前は世界を廻るのが面白くてさ、また廻れるようになって、漠然としてて。何か、何しようかなって気になってたのかもな。俺」
 そう言ってバッツは寂しげに笑った。
「そう言えばお前、俺の事探しに来てくれたの?」
 唐突に自分に水を向けられてファリスは焦った。取り繕う間もなく顔に出たであろう事実を把握して決まり悪くてバッツを睨み付けた。
「自意識過剰なんだよ、お前は」
「事実だろ?」
 飄々と言ってのける彼の態度が気に障って、ここに来たのが後悔された。
 黙ってると肯定してるみたいだと思いつつ、彼女は返す言葉が見付からない。
 やっぱりこの男はムカつく野郎だ。
 そして知ってか知らずか目の前の男は勝手に続けた。
「俺は陸の世界を廻る。お前は海の世界を廻るんだろ?」
 バッツの言葉はまた唐突で更にファリスは返答に窮したが、それでもその時自分の持てるだけの強さで頷いた。
「賭けをしないか?」
 また唐突なバッツの言葉にファリスは返答に臆す。
 てゆーか、なんで賭けの話になる?
「こういう風に特定の場所に来て会うってんじゃ無くて、ホントにいつか偶然に会えたら」
 そこで言葉を切って唯見詰めて来るバッツの瞳の中に自分の知らない色が混じっていて、その深い蒼さにファリスは目が離せなかった。
「そしたら」
 そう言って笑いもしないバッツに、ファリスは何だか落ち着かずそれでも目を逸らさずに見返した。
「そしたら?」
「そしたら、そん時に言うわ」
 そう言ってバッツは笑った。また風が吹いて、蒼い瞳に光が入って何時もと違う色に見えた。何故だかこの色の事を忘れないで居たいのだと分かって、そして忘れないでいようと祈るように思った。

「・・・そんなの賭けって言わねえだろ」
 呟いて不機嫌そうな顔になったが、それでも彼女は目を逸らさなかった。
「良いの。俺が勝手に賭けてんだから」
「何を」
「そりゃ」
 秘密、と言ってバッツは含んだような、嬉しそうな、不思議な笑いを浮かべた。

 崖から見下ろす海が遠い。
 見上げると太陽の位置が少し変わっていて思ったより長居してしまっていたようだった。
 帰ろうかどうしようか迷いつつ、ここで動きを起こすのも目の前の男の思う壺な様な気がしてファリスは立ったまま思案する。その顔はバッツとは対照的に面白く無さ気だった。
 そしてバッツは歩き出すと通り過ぎ様(ザマ)に「帰ろうぜ」と言って彼女の横をすり抜けた。
 やっぱり何だか面白くないが、ファリスもつられる様に歩き出す。

 最後に見下ろした海はやはり遠い。





* * * * * * * * * *

 ・・・なんでこんなにくっつかなそうな気配満々なんだろうか。



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