意図として仕組まれた物なのか意図せずとも手綱を引き合う物なのか。
 それは、思いもかけない偶然を思いもかけない時に運んで来る。不意に手繰り寄せた時に人は知る事となる。幾世もの輪廻の末に絡み合う。
 そして訪れるのは幸か否か。

 知る術を人は持たない
 手繰る術を人は持たない


 人はそれを「運命」と呼ぶ




 山深いリックスの村。
 村の周りは鋭利な山脈に切り取られ、それが村の流れを閉鎖な物にしている。そして北緯に位置するこの村の春夏は決して長いとは言えず、雪深く閉ざされる冬の訪れが閉鎖の一端を担う。
 それ故かどうか、良い意味でも悪い意味でもリックスは穏やかな時を流れてきた。
 穏やかな流れは時として相反し保守的な空気を生む。
 それ自体は悪い事では無い。しかし、小さな事がすぐに大事になってしまう事は余所者にとって居心地の良くない事も事実であった。

 その日の昼過ぎとも夕刻とも取れる時刻にリックスの村は珍しく旅の一行が訪れていた。
 小さな村だ。言うまでも無くそれは村中に知れ渡る。
 リックスは排他的な所ではない。世界の何処かには決して余所者を迎え入れない完全鎖国状態の場所も在るという。
 村は暖かく隣人を招き迎え入れる。そして世界を廻る戦人の伽事ともつかぬ「世界の眼」を炙り出す。
 害意はない。彼らに有るのは自分達の元に築かれた善意だけだ。
 そんな温かみに触れる事と縁遠い生活を送って来た旅人達には好ましいと思えど撥ね付ける事など適わない。それでも、旅人達が今即座に求めるのは食事でもなく団欒でもなく休息だった。
 彼らは村人達の究明に多少の罪悪を感じながらも、今は自らの本能に従う。
 だから、宿屋の女将がその一行の中に自分の見知った顔がある事をこの時はまだ知る由も無かったのは仕方の無い事であった。


「ねえライカ、昨日旅の人が村に来たんだって」
 自分と同じ位の年頃の娘が興味深気に自分の腕を捕まえ話し掛けてくるのを、ライカと呼ばれた少女は相対して余り興味なさ気に聞き流していた。
 ライカにはそれは瑣末な事にしか思えず、それよりも今から朝の日課的な水汲みに行く方が重要だった。
「そう、でも私」
 そう言ってライカは、その目的を示すかの様に自分の持っている木でできている手桶を少し高く翳して見せた。
「もう、相変わらずなんだから」
 話し掛けてきた娘はそう言うと少し拗ねた様な素振りでライカの腕を離し道を開けた。
「そう言わないの。水汲みが遅くなると、母さんうるさいんだから」
 だって何往復もしないといけないのよと付け加えて、妹に対するような苦笑を浮かべるとライカは水汲み場に歩き出した。
「でも、後で一緒にお話を聞きに行こうねー」
 歩き去ろうとするライカに、諦めきれないと言った風情の少女が放り掛けてきた言葉に彼女は「分かりました」と言った様に後姿で手を振って見せる。それに満足した様に少女が自分の家に帰って行ったのが振り向かずともライカには分かった。

 そこから少し離れた村外れの村人しか知らないような場所にライカの目的地である水汲み場が位置していた。
 外れに位置するためやはり水を汲みに行くのには不便な場所だ。だが水が湧き出る場所を人に左右することは出来ない。ただ湧き出る恵みに感謝するだけ。それを不服と思うような営みは少なくともリックスでは成されて居なかった。そして自然と調律を取る姿に自然は裏切る事無く延々とその姿見を変えない。

 何時も通りの時間にその場所に辿り着く。
 何時も通りであれば其処に先客は居ない筈だった。
 何しろ自分の一家の人数はリックスの村でも一番多くその分必要とされる水や食材の需要率も村の中で一番を誇る。それ故普通の村人の活動時間より一層早くライカの朝は始まった。その朝の早さは村一の評判の働き者娘と称される位だ。先刻ライカを捕まえに来た娘も本来ならばこんな時間に活動していない人間の一人だった。
 余程「異国の人」が珍しくて自分の所に来たのだな、と安易に予想がついて彼女は少し笑った。自分の妹の様な娘の微笑ましい無邪気さが暖かく彼女の胸をくすぐる。
 と、辿り着いた先で顔を洗って居るらしい青年の姿を見付け内心ライカは驚いた。
 洗い終わったらしい青年が自分の首にぶら下げた布で顔を拭っている。
 別に顔を洗うという行為が禁止されている等と言う訳でも無い。そんなの村人が日常的に行って居る事だ。
 目の前に立つ青年は自分が知っている誰の顔とも符合しなかった。即ち「見ず知らずの人間」という事になる。そんな「知らない人間」がこんな朝早い時間からしかも村人以外知らないであろう場所に居るという事実が彼女を驚かせた。その驚きは瞬時に警戒に変わる。無意識でライカは後ずさった。
 それでもライカは何故か迷う。逃げ出さない自分が不思議だった。

 懐かしい気がするのは何故なのだろう。

 青年と目が合う。
 海の底に潜って汲んだ海水を石に固め陽に透かしたらそんな色になるのかと思われるような深い蒼い瞳。無造作に切られた茶色の髪の色。
 初めて見ると思うような色なのにそれに昔の記憶が重なる。

 予感がした。

 青年が人懐っこく笑う。
「…俺の事覚えてる?」
 自分に向けられたその言葉に予感が確信に変わった。
「………バッツ?」
 それでも大した沈黙の後に自分の幼馴染の名を吐いた。何とも自信なさ気に打ち出された言葉だったが閃くような記憶が間違っていない事をライカは無意識に悟る。
 だって自分が間違う筈が無い。
「当たり」
 バッツと呼ばれた青年は嬉しそうに笑うと、懐かしげに思い出を手繰る様に自分を見遣って来た。
 ああ、やっぱり。
 こんな風に笑うあいつを見間違える訳が無い。
「…あんたは私の事覚えてるの?どうなのよ?」
 色んな思いが鬩ぎあう胸中を見透かされないかの様にかライカは無機質に言葉を返した。予想以上に素っ気無い声が出てちょっと後悔した気がしたけどちょっと安心した。
「久しぶりだな、ライカ」
 そんなあたしの努力を水に流すかの様に、この男は易々とあたしの名前を口にする。
 腹が立った。
 目の前の男の純粋に再会を喜んでいるかのような瞳に。
 だって今まで連絡一つ寄越さず勝手に居なくなって勝手に飄々と戻って来た。
 こんなに長い間。
 約束が思い出に変わる位に。

 気付いたら手が出ていた。
 もし誰かがこれを見咎めて止めたとしたって、この男に文句なんか言える筈が無い。

 ライカがグーの形にして右手で殴りつけてきた鋭い拳を青年は首だけでいとも容易く避けると少し呆れたように肩を竦めた。
 彼女の持っていた手桶が土に零れ落ちる。
「…相変わらずだな、お前」
 何だか軽くあしらわれている様でライカは更に血が昇る。
「…あんたねえ、こうゆう時は大人しく殴られなさいよ!」
「やだよ。殴られたく無いもん俺」
「っ、あ、あんたに」
 そんな事言う資格なんて無いという言葉は言うことが出来なかった。言った途端に泣きそうだったから言えなかった。
 そして青年は無造作にライカが落とした手桶を拾って彼女に手渡す。この行為が彼女には無神経以外の何者にも見えず、ふんだくる様に手桶を受け取り青年を睨み付ける。
「何だよ乱暴だな」
 そんな彼女の様子に少し不機嫌な表情を青年は浮かべた。それがライカには「相変わらず血の気が多い」と言われている様で更に彼女の癪に障った。
 相変わらずなのはそっちでしょう?
 私がこんな風に対峙している原因があんたに分からないの?
「…他に言う事は無い訳?」
 それでもそういう風に促したのは最大限の譲歩だ。これ以上譲る気は彼女には無い。
 それが予想外だったのか否か青年にやや驚いたような表情が浮かび、そしてやや気まずそうに笑った。
「…ごめん」
 その謝罪の意味がライカには分かって、それを覚えてくれていた事と守らなかった事の叱責が胸に溢れて彼女は堪らず後ろを向いた。
「…遅いわよ」
 振り絞るように言うと彼女は駆け出した。
 「泣きそう」所ではなく本当に涙が出てきてそれ以上其処には居られなかった。
 嬉しいのか悲しいのか分からなかった。
 ただ涙が出てきた。

 自分の家まで走って帰って来てライカは自分の持っている手桶の軽さに我に返る。
「…水、汲んでくるの忘れちゃった」
 母親に何て言おうか。
 それでも元の場所に戻る気には到底なれず彼女は重々しく家の扉を開ける。






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