記憶に違いが無ければ、それはタイクーンに古くから仕える大臣の筈だった。
「…お久しぶりです。お元気そうで安心致しました」
お辞儀をしながら彼はそう言った。
再会を懐かしむような響きが混じっている気がした。
顔を上げた彼に安堵したような表情が浮かぶ。
彼女の行方をずっと心配していたのだろう。
申し訳ないと思う気持がファリスによぎる。
そして思いもかけず見知った顔に出会えた事を、不覚にも嬉しいと思う自分にファリスは驚いた。とうの昔に捨てた筈の名前に懐かしさを覚えて、彼女は戸惑った。
互いにかける言葉が続かないまま沈黙が降りた。
暫くして大臣は懐から何か取り出す。それを無言のままファリスへと渡した。
渡された物をファリスは見つめる。
一通の手紙だ。
現在いる国の紋章が押印してある封筒には何も書かれていなかった。それに封はされていない。
「これをお渡しに参りました」
固まったままのファリスに言葉を続けた。
「レナ様からです」
彼から告げられた名前の意味を知りたくないとファリスは思った。
「手紙の内容は私の方で目を通させていただき、確認しております」
だから封がされていなかったのか、と思う。
何かに抗うように心が揺れた。
「今日レナ様はおいでになれません」
運命という奴は嫌なときばかり、何でこうも予想通りに回るのだろう。
事態をうまく飲み込めないファリスをよそに、現実はどんどん姿を現していく。
望まない形で。
「何故、アンタがそれを言いに来る」
思わず沸いた怒りのままバッツは言った。
「…今回の件、お諦め下さい」
「何だよ、それ」
ファリスの乾いた声にバッツは胸を突かれた。
「申し訳、ありません」
「何だよ、それ!」
物凄い勢いで彼女は大臣に掴みかかった。
彼女の顔が苦しそうに歪むのが目に入る。
大臣には、同じ謝罪を繰り返すことしか出来なかった。
掴みかかった自分の手へ擦り付けるように、顔を伏せるファリスの指が僅かに震えていた。
そして大臣を激しく突き放すと、そのまま身を翻してファリスは走り出した。
残された二人の間に沈黙が流れる。
「どういう事か、説明してもらえるよな」
固い声で切り出したのはバッツだった。
「サリサ様がいなくなられてから、クルル様が以前に増してタイクーンを訪れて下さるようになりました。レナ様を気遣ってくださっているのだと思っておりました。レナ様もとても喜んでいらっしゃいました」
主が嬉しそうなのは家臣として喜ばしいことだった。
しかしふと、何か拭えないような不安を感じるようになった。
クルルが訪れたとき、レナは「二人きりでゆっくり話したいの」といって、室内に部外者がいる事を避けるのだ。
姉姫がいた頃は周囲が気を利かせて席を外す事はあっても、故意的に人払いをすることは無かった。
その頃は、談話中に人が出入りしても特に気にした様子はなかったのに。
何かあるのではないかと、彼は思い始めるようになる。
そんなある日の事。
彼の自宅へレナ付の侍女が訪れた。
侍女は思いつめたような表情をしていた。
「どうしたのだ」
彼女は押しかけた事への謝罪を口にした後、自分ではどうして良いか分からないので話を聞いて貰いたいのだと告げた。
「何かあったのか?」
「…私、見てしまったのです」
侍女がレナの部屋を掃除していたときの事だ。その際ほうきの柄を誤って机の上の本の所へぶつけてしまった。立てかけられていた本が数冊床に落ちた。
拾おうとした彼女に封筒が落ちているのが目に入った。おそらく本に挟んであったのだろう。
何の気なしにそれを拾い上げた彼女だったが、その封筒に書いてある筆跡に驚いた。それは今はいないであろう姉姫の物にとてもよく似ていたからだ。
封筒に押してあった郵便の日付印は、姉姫が城よりいなくなってから大分後の日にちだった。
侍女は葛藤したあげくついに中身に目を通してしまった。
まず間違いなく姉姫が書いた物のようだった。
「その時、私はいつもの時間より大分早くお掃除に伺ったんです。私が来ると思わなくてレナ様はきっとご本の中にそれを置いてらっしゃったんでしょう」
「…それは、確かにサリサ様からの物だったのか」
「はい。間違いないと思いますわ。レナ様は先日『サリサ様とタイクーンは今後何の関係もない、全く縁を切ったものとして扱う』と発表されています。それなのに手紙の日付はそれより後の物だったんです。私、何が何だか、どうすれは良いのかもう分からなくて…」
そう言って侍女は涙ぐんだ。
「…話してくれて感謝する」
この事は誰にも口外しないよう侍女には固く口止めをした。
手紙を勝手に見てしまった事をとても悔やんでいるようだったので、大丈夫だろうと大臣は思った。
後日。
どんな処分でも受ける覚悟で、彼はレナの部屋内を探った。
そしてついに引き出しの奥深くに、用心深く隠されている金属製の箱を見つけた。おそらくレナは、まさかここまで探る人間はいないと思っていたのだろう。それにカギはついていなかった。
中に入っていたのは、姉より送られた手紙だった。
(2005.02.28)
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