成婚の儀式が取り行われる日の前日の夜の事だった。
 レナは自分の為に用意された部屋の椅子に腰掛けていた。
「少し疲れたからもう休みたいわ」
 指示は出さずとも、ひとりだけにして貰いたいと態度に出ている。
 それは叶う筈だった。今までなら。
 しかし今回は様子が違った。
「申し訳ありませんが、レナ様をお一人にする訳には参りません」
「…どういうことかしら」
「私も含め今この場にいる者達は、あの方がこの国にいらしている事を存じ上げております」
 大臣に言われた言葉にレナの顔色が変わった。
「何を、言っているの」
 レナの顔が青ざめていた。
 その強張った声色から彼女の戸惑った様子が伝わってきた。
「レナ様があの方とご連絡を取っていらっしゃる事、かねてより存じておりました」
 これから言わなければならない事がまだ残っているのに、自分にはそんな資格は無いのだと思う。
 どう言い繕っても結局これは彼女にとって裏切りにしかならないのだから。
「明日の結婚の儀の後の宴舞会、申し訳ありませんが欠席していただきます。主賓、来賓の方々には体調が優れないのでとお伝えしておきます」
 レナは何も言わなかった。言えなかった。余りにも唐突で、現実に起こっている事では無い気がする。
 自分の中で高く積み上がっていた物が、バラバラと崩れ落ちていくような、言いようの無い喪失感がわく。

 失敗してしまった、ハッキリとそう悟る。

 部屋の窓、扉はタイクーン兵の厳重な見張りで固められてしまっていた。
「サリサ様にお会いになりたいというお気持、重々承知しているつもりです。けれども…」
 更に追い討ちをかける行為に、彼の心は軋んだ。
この状況下でタイクーンはこれ以上騒ぎを起こす訳には参りません。どうかご辛抱を…!」
 やはりレナは何も言わない。青い顔のまま足元を見つめていた。
「サリサ様の方には、私がお伺いして事の次第お伝えして参ります」
 レナを覆うのが悲しみなのかそれとも怒りなのか、大臣には分からなかった。どちらも彼が望んでいることではなかったけれども。
 大臣は部屋を勝手に探り今回の計画を知ったことをレナに告げた。
「タイクーンに戻りましたら、私はどんな処罰も覚悟しております」
 そうして深く頭を下げた。
 その位で事態が好転するわけがない事は承知していたが、他にどうすれば良いのか分からなかった。

「――あなたに罰を与えようとは思っていません。臣下として当然の事をしたまででしょう」
 大臣の行った事は立場上仕方がなかったのだと分かっている。
 だが自分は人形ではない。
 意に添わないことをされて「はい、そうですか」と言えるほど物分りのいいつもりは無い。
 乾いた喪失感の後に沸いたのは、紛れもなく怒りだった。
「どうやっても行かせるつもりはないのでしょう。従うしか私には出来ないわ」
 そう言ってレナは見据えるように大臣へ目を向けた。
「今から姉へ手紙を書きます。私が行けないのだから、あなたがそれを持っていきなさい。おそらく今夜中にでも、私が行けないと姉へ告げに行くつもりだったのでしょう?」
 そう言い放ったレナの視線に、大臣は圧倒される。
「どうしたのです。あなたが代わりに持って行って下さらないと。姉の居場所は分かっているのでしょう」
 返事を出来ずにいた大臣へレナは続けた。
 大臣はこの国に入ってから密かにサリサ姫の所在を探らせていた。そして彼女が泊まっている宿を既に突き止めていた。
 大臣がその言葉に頷くと、レナは満足げに笑った。
「では、皆、部屋から出て行って下さい。姉へ渡す手紙を書きます」
「レナ様、席を外す事は出来かねます」
 その言葉を聞いてレナは椅子から立ち上がった。
 そしてゆっくりと周囲を見渡す。
「誰にも邪魔されずに書きたいの。これくらいの希望は叶っても良いのではありませんか?心配しなくても逃げたりなどしません」
 そして真正面から大臣を見据えた。
「記した内容はあなたが直に見て確認すれば良い事でしょう」
「まあ、それはそうですが…」
「そう。それならば」
 彼女は凛とした声で言い放った。
「出て行きなさい」

 大きな声を出した訳ではないのに、それは圧倒的な圧力を持って彼らの耳に響いた。
 揺らがない彼女の視線。
 大きな存在感と威厳をもってその場を支配する。
 彼女はその時女王の冠を身に着けていなかった。しかしその心の中に主君の冠を抱いていた。

 レナの言葉は威圧的に言われたものではない。
 だが、逆らう者はいなかった。

 女王へ仕える誇りと、彼女への改めての尊敬。
 その思いを改めて抱く。

 そして周囲の人間は皆、外へと出て行った。
 部屋の中にはレナ一人きりになる。
 静まり返った部屋内を見返しながらどうした物かとレナは思案する。

 来賓用のベッドに椅子、精緻な飾りが施されたランプ。
 備え付けの机の引き出しにはこの国の紋章が入った封筒と便箋。机の上にはペンとインク。
 そして燭台に飾られた細い飾り蝋燭。
 
 何としてもこの状況を切り抜けてやる、と固く誓ってレナは手の平を握りしめた。



* * * * * * * * *

 やっとレナ登場(ほんとにな)
 時間が前後してるので分かりづらいなあと思いますよ。7話では式当日の早朝、8話では式前日の夜。8話の方が時間的には過去の話になってます。
(2005.03.10)


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