街から少し離れた所では、周囲の喧騒が耳に遠く感じる。
 浮き立つような賑わいも、そこでは少しよそよそしい気がする。
 空はすっかり夜の色で、遠くの星が霞んで見える。
 石塀のすぐ側に2人――バッツとファリスは佇んでいた。

 塀に背を預けて上を見上げるファリスの横顔は無表情で。何を考えているのか分からなかった。
 待ち合わせした時間にはまだ早い。

 近くで人の気配がして、思わずその方向へ弾かれるように目を向ける。
 目に入ったのは酔っ払いが陽気に鼻歌を歌いながら、よろよろと歩いている様子だった。酔っ払いはバッツ達に気付いた様子もなく、そのまま歩き去って行く。
「…呑気なモンだぜ」
 イラついた様子で舌打ちをしながらファリスが漏らした。
 そのささくれ立った様子に、触らぬ神に祟り無し、とばかりにバッツはこっそりと少し彼女との距離をあける。
 気付いたファリスにジロリと睨まれた。
 だがそれだけで、彼女は特に何も言わなかった。


 カサリ、と草が踏まれるような音がした。
 体に緊張が走る。
 さっきの事もあるし、と疑いつつもその方向に注意を向ける。

 闇の中からぼんやりと見えたそれは小柄な人影だった。
 その人物もバッツ達の姿を認めたようで、足早に駆け寄ってきた。

「バッツ、ファリス!」
 嬉しそうに息を弾ませて駆け寄ってきたのは、クルルだった。
「心配してたんだぞ!良かった!」
 緊張が解けたかのようにバッツは笑った。
 安心したように彼はクルルの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。
「痛いよー、バッツ!」
 言葉ではそう言いながら、クルルも嬉しそうに撫でられたままになっていた。
「無事来れたようで、安心したぜ」
 ファリスもほっとしたようにクルルを見つめた。
 だがそれに反してクルルは顔を曇らせた。
「…うん、私の方は何とかうまく行ったんだけど、レナが…」
 不安気に視線を下に向けるクルルに、バッツは撫でるのをやめた。
「昨日からね、全然レナに近付けないの。レナの部屋にも行けないし…。何か、あったのかもしれない」
 バッツとファリスは顔を見合わせあうと、何か促すようにバッツがファリスへ目配せをする。ファリスはそれに頷いて、荷物の中を探し始めた。
「どしたの?」
 不思議そうに聞いてくるクルルにも構わずファリスは荷物の中を漁り続けた。
 その整理整頓されていなさげな彼女の荷物の様子に、コイツに持たせておいたのは失敗だったと、バッツは少し後悔した。
「…お前、これを機にもうちっと片付けとけよ」
 思わずそう言ってしまって、ファリスにきつく睨まれる。
 浅はかな行動だった、とバッツはまた後悔した。
「これこれ」
 取り出したのは小さい四角の薄い物だった。
 手渡されてしげしげとクルルがそれを見つめる。折りたたまれた一枚の紙だった。
 広げてみると、文字が綴ってある。暗くてよく見えなかったが、書いてある文字はどうにかして読むことが出来た。
 紙は何かに濡れて乾いたかのようにシワシワだった。
 その筆跡を見てクルルは驚いた。
 はやる気持ちで文字を追っていく。
「これ……!」
 やっぱり、という失望感がクルルを襲った。今日ここに来る筈のもう1人の人は来れないのだ。
 何度目で追ってみても、それは会いにいけない事を謝る内容で。
 もっと早く知っていれば何か出来たかもしれないのに、と思った。
 悔しさと後悔がごっちゃになった感情の渦が溢れる。
 溢れて引いた後のそれは、罪悪感に似ている、と思う。

「違う違う、そっちじゃなくて、逆、逆」
 唇を噛み締めてしまったクルルに、ファリスが慌てた。
 一瞬言われている意味が分からなかった。
「それ、裏返してみて」
 言われるがままに、紙を裏返してみた。
 しばらくそれを見つめていたクルルだったが、複雑そうな顔でファリスを見る。
「…暗くてよく分かんない」
「あ、そっか。色薄いもんなー」
 腕組みをしながらファリスは溜息をつく。そしてチラリとバッツを横目で見やる。
「……何だよ」
 次の瞬間、背中を物凄い勢いで叩かれてバッツは一瞬呼吸が止まった。
 加減を知らない目の前の女のバカ力を身をもって痛感する。
「バッツくん、ちょっと明るいトコまで行ってそれ見せてやってくれよ」
「お、お前の脳みそには、労わりというモンは存在せんのかーーー!!?」
 痛みへの怒りで、肩をいからせながらバッツが叫んだ。
 幸いなことに暗がりだったので、ちょっと涙ぐんでいたのには気付かれなかった。
「お前、デカい声出すなよ。ここに居んの気付かれたらどーすんだ?お前こそ配慮という物を持て」
 大いに顔をしかめながらファリスはそう言い捨てた。
 そのあまりの対応に、バッツは何も言えず口を開ける。
 ああ、やっぱりこの女には何を言っても無駄だな、と哀愁に満ちた悟りがじんわりと沸いた。
「バッツ、あっちの方明るいよ。行ってみても良い?」
 クルルが賑わっている街の方を指差す。クルルが出してくれた助け舟が、少し胸に温かかった。
 少し哀愁を漂わせながらバッツは頷くと、指差された方向へと歩き出した。

「あれ、ファリスは?」
 ファリスは少しだけ、笑う。
 何か気がかりなことを隠す為に笑っているように、見えた。
「俺はここにいるよ。誰もいないのは、マズいしな」
「? じゃ、ちょっと行って来るね」
 クルルはファリスに向かって小さく手を振ると、立ち止まっているバッツの所へ駆け寄って行った。
 2人の姿が建物の向こうへ消えて見えなくなった。

 喧騒は相変わらず耳に遠い。
 風で木の葉が揺れる音が小さく響く。
 見上げて目に入る霞んだ星は、他の星から離れてポツンと震えていた。
 お前も心細いのか、とひっそり思う。
 今の自分と似てるな、と思ってファリスは苦笑した。

 必ず来る。
 言い聞かせるように胸で繰り返す。
 それでももしかしたら、と希望がしぼみそうになるのが分かる。



 不意に、草がガサリ、と音を立てた。
 ぼんやりと遠くを見つめていた耳には、それがとても大きく響いた気がした。
 食い入るように音がした方向を見つめる。
 胸がガンガンと鳴るように打つ。

 知っている。今そこにいる人を。
 忘れる筈がない。
 間違える筈がない。

 次の瞬間、暗がりの中から何かが飛び込んできた。
 抱きついてくるその感触を、懐かしいと思った。
 細い腕にありったけの力を込めて、抱きついてきた人は安堵したように息を吐く。

「…遅くなって、ごめんなさい。姉さん」
 嬉しくてしょうがなくて、自分も抱きしめ返す。
 暗くて見えなくたって、間違う筈がない。
 考えていた事も、言いたかった言葉も、結局形にはならなくて。
 その人が物凄く苦労して、物凄く頑張ったのだ、とそう思うだけで涙が出そうになる。
 誇らしくて、誇らしくて。
「ありがとな。すげえ、会いたかったよ」
 涙声のままその人の顔を見ると、その人も泣いていて。
 顔を見合わせたまま、泣き顔で互いに笑いあった。



* * * * * * * * *

 姉妹ようやく(ホントにな)対面。
 シスコン度はこれでも、おさえ、ました(これでもだったのか)
(2005.04.23)


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