遠い遠い 水の底。
 夜毎、彼女はひっそり歌をうたう。
 失われた国の言葉。
 遠い遠い 水の底。
 波紋を抜けて 光へ向かう。




 少年は霧を歩く。
 靄越しに薄っすらと浮かぶのは木の葉の影。
 幹がなく、地面すれすれに浮かぶ木の葉の影。
 不思議に思って近寄ると、その影は溶けるように消える。
 振り返ると、少年の立っていた場所にまた木の葉の影が浮かぶ。さっきまでは無かった場所に。
 また近寄るとそれは溶けるように消える。
 不可思議な終わりの無い現象に、怖いとは思わなかった。

 ここで 一人きり。
 それは 少し寂しかった。

 影を追うように歩いていくと、いつの間にか何かの音が聞こえていた。
 いつから聞こえたのか気づかない位、小さくしっかりと音律を刻む。
 誰かが、歌っていた。
 今度は声が聞こえる方へ歩いていった。霧越しの白。歩き出す方向に、今度は影は現れなかった。

 近づくと少しずつ大きくなる声。
 声がはっきりするのと比例して霧が少し薄まった。

 歩いていると唐突に足に何か浸るような感触があった。足元へ目を向けると揺ら揺らとゆれる薄い光の波紋。
 水のようだ、と思う。
 知っている限り、水は冷たくて青くて清冽だった。
 目下にあるのは知っている水とは何だか違った。
 足元に水に似た物が浸っているのに温度を感じなかった。
 冷たくないから、濡れているという感じも無かった。
 揺ら揺らと波紋がゆれて、水のようだと思った。

 ずっと聞こえてくる誰かの歌。
 この場所から聞こえてくるような気がしてた。
 近いのにとても遠い。

 何を歌っているのかは分からなかった。
 それは知らない言葉で、知らない音で。

 静かに変わることなく波紋がゆれる。
 少年には歌の言葉がやはり分からなくて、それがやはり寂しかった。




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